読書感想文はいやいやだったのに 感想文 その3 (過去記事その9)

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2019/08/09
読書感想文はいやいやだったのに
感想文 その3

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夏の空 日本の空は電線と共に記憶される

神田川デイズ 豊島 ミホ」

前回の感想文で書いた二作品は、高校生が主人公の長編作品
だったのが、この本は何人かの大学生が出てくる連作短編集。

同時期の大学生活が、それぞれの作品の登場人物の視点で
描かれていく。最終的に全体として大学生の青春群像が、
俯瞰されるように繰り広げられる、という小説だ。

この作品の時代はいつぐらいなのだろう。
携帯電話が出てくるので、そんなに昔の設定ではないようだ。
ところが、タイトルで連想されるように(少し年齢のいった人
なら、かぐや姫神田川を想起するだろう)、これ、まるで
昭和の時代?と思ってしまうほど、自分が過ごした大学生活と
あまり変わらない感じで物語は進んでいく。

ま、タイトルからしてそれを狙っているのかもしれないが。
それとも作者の出身である早稲田大学の第二文学部の学生
たちは今でもこんな感じなのだろうか!?

そんな小説なので、時代はずれているのに、自分の時代の
青春グラフィティとして読んでもまったく違和感がなかった。

なにしろ第一話は、六畳間、こたつ、みかん、でグダグダの
男たち、で話が始まるのだから!

他にも既視感の強い場面がいくつもあって自分よりずっと
若い作者がこんな小説を書くとは驚き。
他の作品も読んでみたくなった。

それにしても、高校時代と違って大学時代のことは自分に
とって,今思い出すと甘く切ない、とはなかなかならず、
ヒリヒリとした苦い感覚がいまだにまだ残っているのを
この小説を読んで再確認した次第。

読書感想文はいやいやだったのに 感想文 その2 (過去記事その8)

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2019/08/08
読書感想文はいやいやだったのに
感想文 その2

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夏の空 昨日と同じ場所時間で雲少なし


 「夜のピクニック 恩田 陸」

本屋大賞を受賞した永遠の青春小説
と、裏表紙の紹介文(宣伝文)にある。

数ある賞の中でも、比較的ハズレがないと言われている
本屋大賞。実際によく売れて評判にもなり、映画の原作
にも多数なっているようだ。

本屋大賞で自分が読んだのは、他には
博士の愛した数式 小川洋子
があるかな。

という訳で、さすが本屋大賞受賞作。
一気に最後まで読んでしまった。

どこが面白かったの?と、もし人に尋ねられても、
それを伝えるのが難しい。なにしろストーリとしては、
夜を徹して80kmを歩くだけなのだから。

それなのに、最後まで読ませてしまう
恩田陸さん、すごい!

感想で、すごい、というのは何も言ってないのと同じで
恥ずかしいのだけれど、感動の度合いが強いと、まさに
言葉を失ってしまう、と言い訳しておこうw

こういう時は先の日記にも書いたけれど、宿題の感想文
のように、解説から引用してしまうに限る!

 「夜のピクニック」はノスタルジックで
 リリカルで、いつまでも読み続けたい
 小説である。‐ 中略 ‐ 生きてあることが
 嬉しくて、だれかに感謝したくなるよう
 な高揚感がひしひしとわきあがってくる。
 読む者の胸を幸福感で一杯にするような
 小説だ。         池上冬樹

あと、主人公の西脇融(とおる)が自分に似ていて、身に
つまされた。「秒速5センチメートル」の遠野貴樹も
そうだった。なんで、そんなに頑な生き方してるんだろうと。
ただし、いつも女性にモテてしまう二人とは、まったく
似ていないのだが。(この二人のファンの方ゴメンなさいw)

読書感想文はいやいやだったのに 感想文 その1 (過去記事その7)

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2019/08/06
読書感想文はいやいやだったのに
感想文 その1

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夏の空 再び

夏休みの宿題で定番の読書感想文。学生時代はいつも最後に
なってしまったという人も多いのでは。自分もその例にもれず、
最後の解説と本文の引用を混ぜ合わせて、なんとかやっつけ
仕事で提出していたものだった。

それなのに何を思ったのか、ときどきこうして本の感想を書き
残しているのは、それってどうなのよ?と、言われそうだw

それは宿題だった読書感想文と違って、自分勝手な感想を
自由に書き綴るのは楽しいというか気分がいいからだ。
映画見た後に、あれこれ話をしたくなるのと同じ感覚。
ま、あくまでも感想であって書評じゃないのでその辺は
ずっと気楽なものだし。

あと、ブログの日記も同じことが言えるけれど、何か記録でも
残しておかないとすっかり忘れてしまうことが多くて、それは
どうももったいない気がする。というか、人生の一部が消えて
しまったようで(大げさか!時間が消えてしまったくらいw)、
それは寂しい。ただでさえ平凡で何も無い日常しかないのに、
そこから何かしらのものが消えるなんて!
実際何もないのだけど・・・  (;^_^A


 ガールズ・ブルー あさの あつこ

特に事件らしい出来事もなく(もちろんさざ波のごとく短い
エピソードはいくつもあるが)女子高生の日常がテンポよく
進んでいく。女の子たちの会話を実際に聞いているようで、
女子高生に縁のない人間には楽しめるw

小説を読んでいる限りは、主人公たちの会話もリアルに
感じるが、実際のところはかなり違うかも。というか、
違って当然という気もする。

主人公たちの設定として、底辺校の生徒でその中でも
勉強嫌いとなっているが、その実自分の頭で自分なりに
考えている。なので中身のない無駄話に見えても読者には
言いたいことはきちんと伝わる。

あたりまえだけど、リアルということは電車の中で話される
会話をそのまま写すのではなく、そう見える、そう感じる
ように表現するもの。なので、本当の会話と違うと言い出す
と小説にならない。

なんて、そんな野暮なことを言わずに、魅力的な女の子たち
の明るく楽しい切ない日々を一緒に味わうのが吉。

今では夏もただ暑いだけの季節なのが…(過去記事その6)

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2019/08/03
今では夏もただ暑いだけの季節なのが…

ずっと夏こそ特別な季節だった。

ま、過去形なのが寂しいことだけど。

夏がやって来る、と思うだけで心が騒ぐという、なんとも
ステレオタイプな感覚を学生時代からしばらくは普通に
持っていた。

青春時代特有の夏への期待(何かが起きる!)が強かったから
とも言えるけれど、実のところは長い夏休みの解放感が小さい
頃からずっと刷り込まれてきた結果のせいではと思う。

でも、今となっては夏もただ暑いだけの季節になって
しまったのがなんとも寂しい限りだ。
輝ける季節の夏は、すでに歌、小説、映画の中での
イメージとして存在しているのみ。

と、こんなことを思い浮かべたのはネットでこんな記事を
読んだからだ。

 キナリノ
 夏の記憶がみずみずしく蘇る、
 眩しさと懐かしさを紡ぐ青春小説

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ここで紹介されていた本の中で三冊選んで読んでみた。

 神田川デイズ 豊島 ミホ
 夜のピクニック 恩田 陸
 ガールズ・ブルー あさの あつこ

ひととき、懐かしくも切ない気持ちに。
やがて今の自分に戻るまでは…
             ┐('~`;)┌

感想はまた後日(こればっかりw)

細かいところが気になる訳は(過去記事その5)

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2019/07/30
細かいところが気になる訳は

いまだに文章を書くたびに迷ってしまうのは自分の呼称だけでなく、
読点の位置やら文末表現(ですます調か、だである調)などなど
他にもいくつかある。

それは、文章の美しさや内容の正確な伝達にこだわりがあるわけ
でなく、これでOKが出るのか?というのが気になる(心配になる)
環境に自分がいたからだ。

今からはるか遠い昔のことw
世はWindows95が空前のブームになっていた頃。自分は翻訳の
真似事をしていた。翻訳でなく翻訳の真似事なのがポイント。
翻訳の教室に通ったのがメインで、実際の仕事としての翻訳は
少ししかしてない。(この前後の話はまたいつか書いてみたい)

どういうことかというと、実際の翻訳作業上でのことではなく
翻訳教室で自分が提出した課題の翻訳文が添削されるときの経験
からきている。このときに、実にたくさんの細かいルールが
課せられていた。

半角全角の区別(数字英文字は半角)。
文末表現の統一(混在は不可)。
長母音の省略(メモリーでなくメモリ)

などなど他にもたくさんあった。

それで文章を書くときにいちいち気にするようになったという
訳だ。それが文章を書くうえで多少でも役立った面もあるが、
より良い文章を目指すというより、減点されないための受動的
な反応なのであまり自慢できるものではない。

翻訳と言えば思い出すのが、サプリや化粧品で有名なDHCが
もともと翻訳の会社だったことだ。「大学翻訳センター」の
頭文字が社名になっている。翻訳業界では最大の出世頭である。

細かいところが気になる訳は(過去記事その5)

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2019/07/30
細かいところが気になる訳は

いまだに文章を書くたびに迷ってしまうのは自分の呼称だけでなく、
読点の位置やら文末表現(ですます調か、だである調)などなど
他にもいくつかある。

それは、文章の美しさや内容の正確な伝達にこだわりがあるわけ
でなく、これでOKが出るのか?というのが気になる(心配になる)
環境に自分がいたからだ。

今からはるか遠い昔のことw
世はWindows95が空前のブームになっていた頃。自分は翻訳の
真似事をしていた。翻訳でなく翻訳の真似事なのがポイント。
翻訳の教室に通ったのがメインで、実際の仕事としての翻訳は
少ししかしてない。(この前後の話はまたいつか書いてみたい)

どういうことかというと、実際の翻訳作業上でのことではなく
翻訳教室で自分が提出した課題の翻訳文が添削されるときの経験
からきている。このときに、実にたくさんの細かいルールが
課せられていた。

半角全角の区別(数字英文字は半角)。
文末表現の統一(混在は不可)。
長母音の省略(メモリーでなくメモリ)

などなど他にもたくさんあった。

それで文章を書くときにいちいち気にするようになったという
訳だ。それが文章を書くうえで多少でも役立った面もあるが、
より良い文章を目指すというより、減点されないための受動的
な反応なのであまり自慢できるものではない。

翻訳と言えば思い出すのが、サプリや化粧品で有名なDHCが
もともと翻訳の会社だったことだ。「大学翻訳センター」の
頭文字が社名になっている。翻訳業界では最大の出世頭である。

山下達郎のライブ今回は残念ながらハズレ!(過去記事その4)

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2019/07/30
山下達郎のライブ今回は残念ながらハズレ!

このところずっと(といってもこの3年)当たり続けていた
山下達郎のライブのチケット。今回は残念ながらハズレ!

それにしても、

 チケットをご用意することが
 できませんでした。

というのは、なんとも言えない気分になる。最近はこの言い
回しが標準のようだが、自分としては。単刀直入に、
「外れました」と言ってもらったほうがいい。遠回しというか
ショックを与えないような気遣いが逆効果になっている。
ま、今回はチケットがハズレていじけた気分になっているから
余計にそう感じるのだろうが。

自分がよく行くライブのアーティストは年齢が年齢なので、
いつまでライブがあるのかわからない。
(いつまで行けるのかわからない、とも言えるw)
行けるときに行っておかないと!

ライブに行けないとなったら、達郎にはぜひともライブの
映像ディスク出して欲しい!フィルムライブはあるのだから。
それから竹内まりあのライブ映像もお願いします!!!